すかいつりー 浅草寺とすみだ水族館と、時々、ペンギン

要するに浅草ヘ行ったというお話。   東北の奥深き山中を旅立った筆者は、あちらの湖、こちらの海岸、と何故か水のあるところに多く立ち寄り、内陸地生活のストレスを発散したいようであった。 39都道府県に暮らす人々は内陸県に暮らす人々のストレスを推して知るべきである。   そうしてふらふらしていると案外あっさりと東京へたどり着いた。 言わずと知れた観光地、浅草である。 スクリーンショット 2015-09-16 19.00.05 浅草を訪れるのは二度目である。 一度目はあらゆる精神的病いを片端から発祥させていた中学生の時分である。 もちろんその頃はすかいつりーなどというものはおそらく計画すらなかったであろう。 そして風情ある観光地を田舎の中学生が楽しめるはずなど無く、「人が多かった。」程度の記憶しかない。 その後東京に8年程暮らす事になるが、住んでしまうと意外と観光はしないのであった。   要するに浅草を見物するのにふさわしいタイミングが今まさに。 というわけで人もまばらな早朝から浅草をうろうろとした。 スクリーンショット 2015-09-16 19.06.52 スクリーンショット 2015-09-16 19.07.24 まぁしかしアレである。浅草寺ほど今更感のあるスポットもあるまい。何百年か遅い。 そういうわけで比較的新しい「すかいつりー」を目指して歩き出した。 すかいつりーは遠巻きからぼや〜と見た事があったり、すかいつりータウンに存在するプラネタリウム・天空に訪れようとしたがチケットが全く残っておらず、乙女とのろまんてぃっくな逢瀬がご破算になるという憂き目にあったりしている。 「腹いせにひらがなで表記してやる!」と小さき事を言いながら浅草から東へ向かったのだが、一向に見えてこない。 前の晩は確かに存在している事をホテルの部屋から確認済みであった。 筆者の頭には独我論が渦を巻き、すかいつりーなどというものは筆者の妄想の産物ではなかったか、フロイト的にはやっぱりあれか、などと心理と哲学の迷宮に迷い込みそうになったが、隅田川を渡る頃、すかいつりーはようやくその姿を現したのだった。 スクリーンショット 2015-09-16 19.06.05 すかいつりーの野郎は文字通り雲隠れしていた。 建築物に野郎呼ばわりとは随分である。しかし彼はきっと彼である。   彼は余程筆者を拒みたいと見える。 「ならば昇ってやらん!」と筆者もヘソを曲げる。 どうせ昇ったところで真っ白である。そんなものは頭の中だけで十分でありチケットを買ってまで見るべきものでもない。   そうして夏休みの最終日を満喫せんとする優秀な、あるいは諦めの境地に達した小学生と共に開場前のすみだ水族館に並ぶのであった。     つづく