ライフログ、日記あるいは遺書

筆者は今日 という本を読んだ。これは先日読んだ別の本 の中にタイトルがちらりと出たからである。本はまた別の本を連れてくる。   ライフログのすすめ〜はタイトルのとおり、日々あった出来事、仕事の資料、学習した事、出会った人、場所、時間、閲覧していたウェブサイト、クリックの回数に至るまであらゆる事を記録していこうという趣旨の本で、著者がペーパーレス化と全てをデジタルに記録する為に行われた試行錯誤が記されている。 この主題からよくここまで膨らましたものだと関心するほどあらゆる引き出しを片端から開けていき叙述したような本である。ライフログが世界に与える恩恵、ライフログに必要なアイテム、仕方。おそらく全部書ききっているだろう。   日々のすべてを記憶していられる人間など少数だろう。たぶんほとんど居ない。居ないと断言しないのは世界にはサヴァン症候群と呼ばれる並外れた能力を有している人間が存在しているからである。V・S・ラマチャンドランの などに詳しい。 しかし一般的には全てを記憶しておくことはできない。だから外部装置に記録しておき、いつでも引き出せるようにしておくべきだと。 筆者のように忘れっぽい人間にとっては頷ける話である。 知識や経験を詰め込んだはずの袋に穴が空いていると気付くのはいつも忘却してからである。 そしてそれすら忘れる。 ライフログにはジレンマがあって記憶の外部化を行う事によって実際の脳に蓄積する必要がなくなる訳だが、脳は使わなければそのキャパシティを縮小させていくという話を何処かで読んだ(また忘却だ)。   ライフログと言える程徹底した管理はしていないものの、筆者もいくつかのアプリケーションを使用して記録とペーパーレス化を行っている。   この愚劣なブログの他にmacのTextEditに日々あった事とネガティブエンジンをフル稼働させたぐにゃぐにゃの文章を書き連ねている。死期が迫ったと解ればすべてを消さなければいけないファイルである。   それからPDFファイルやウェブサイトの記事、様々な事柄のメモはEVERNOTE(無料版)で管理し、些末なことはiphoneのRemainderにいくつかのカテゴリーに分けて記している。中長期的なタスク、定期的に思い出し心がけたい事柄、読む予定の本のタイトル、見る予定の映画、スーパーやドラッグストアで購入する日用品、といった具合である。   紙の手帳やノートのようなものは仕事の上でも所持していない。送られて来た封筒などを筆者規格(適当)に切りそろえて、数枚用意しているだけである。手に入れようと思えば紙はそこら中にある。 手帳の類いは新しい季節になると嬉々として購入した事もあったがあまり使い切った記憶が無い。ふわふわしたもので埋められた筆者の脳にも収まらぬような、過密で不規則なスケジュールは存在しないので余裕で覚えていられる。それから一時的なメモを後生大事に取っておく趣味も無い。 よって、適当な紙に一時的にメモし、すぐ処理できれば処分、できなければRemainderかEVERNOTEに移される。 というようなサイクルによって筆者の仕事や生活はぐるぐると廻っている。

ライフログのすすめ〜の中にライフログを溜め込んだPCを空港に忘れそうになってひやりとした、といった話が載せられている。記憶の外部化の問題の一つはこれだ。極めて個人的なデータが簡単に流出してしまう危険性。忘れ物だけでなくある日突然死んでしまったらせいぜいパスワードでロックする程度の対応策しか取られていないハードディスクが無防備にもさらされる事になる。世の中には遺族の為か知らんが故人のパソコンのセキュリティを解除するサービスが存在するという。空気を読めといいたい。 漫画デスノートで登場人物のLが死に、PCが一定期間触られないとデータがすべて消去される、というシーンがあったが、これは現実でも一般的なものになると思われる。需要はあるだろう。 この意味に置いてライフログは生前は有用であっても死後には時限式の爆弾のような存在になる。葬式で利用され「故人の人生を振り返ってみましょう。」などといういらぬサービスが発生するとも限らない。   ここまでで解る通り筆者はライフログや記憶の外部化には懐疑的である。それでも利用しているのはペーパーレス化による恩恵が大きいからである。 そしてこの問題を考えると必ず「いかに生きて死ぬのか」「何を残して何を残さないのか」という死生観の問題に突き当たる事になる。

続く