おかしの家 最終話

前回の裁判で敗訴になったという所から始まった最終回。 タイトルは「忘却」である。 おばあちゃんは養護老人ホームに入るため家を売る事にしたと太郎に告げる。 特に相談もなかった事に太郎はショックを受ける。 おばあちゃんは老人ホームへ、太郎達も3人と一匹の新しい生活をはじめる。 太郎は三枝にいつかまたおばあちゃんと暮らす、と話す。   そして違うドラマになったのではないかと思われる程オダギリ氏のビジュアルが様変わりする。 あのもっさりしていた太郎はどこへやら。 巧みに隠蔽していたオダギリ氏の格好良さを惜しげも無く披露する。 2020年まで時が経過していたのであった。 何やらテレビは専用の眼鏡(おそらく3D的なもの)をかけて見るようになる、という近未来を示しているようである。 「安直だぞ!」と突っ込む。   脚本家として成功した三枝もシュッとした感じで登場。 太郎と自身の忘却について指摘するのだった。 わかりやすくお手軽なサクセスが描かれたが、一番がっかりしたのはハルマ氏の成長ぶりである。 筆者は可愛かった頃のハルマ氏を忘れない。 そのあたりも現実的と言えば現実的であった。   あらすじはこのくらいで。 最終回は結構普通に終わったな、と思う。 いつのまにか最終回に一番の盛り上がりを期待するようになってしまったけれど、べつにそんな必要は無いのだよなぁ。 そう思うとおかしの家はどこにでもある物語だったのだ。 現実に打ちのめされ馬鹿な夢を見たり、再会やふいに訪れる死がある。 他者の存在を当たり前ではないと知りながら、時に忘れてはまた思い出し、何度同じ石につまずくのかと己を責めながらもまた歩き出したり、立ち止まったり。 そういうどこにでもある普通の物語であった。   おばあちゃんを老人ホームに送り出すシーンでは様々な事が思い出されて辛かった。 太郎を突き放そうとするおばあちゃんの気持ちもわかるし、迎えのワゴンへの乗車を止めた太郎の気持ちもわかる。 死を受け入れた人間に対する無力感みたいなもの?がよく描かれていて苦しくなった。   ドラマ全体を通してみると太郎をはじめ男性の登場人物は結構廻りに翻弄されるし、落ち着きが無いし、優柔不断だし、といった不安定な感じであったが、女性はおばあちゃんもレイコもぶれなかったなぁと思う。 三枝が格好を付けながら言った「みっともなくない男なんてこの世にいるのか?」という台詞が思い出される。 全くである。 みっともなくない男などこの世には存在しない。 で、あるから女性諸氏は野郎どもに対して寛大な心を持つべきである。 おねがいします。