ミソフォニア症について

最近インターネット界隈ではチラホラ目にする事が多くなったミソフォニア症/音嫌悪症という人が出す音に対して過敏になり、イライラしたり恐怖を覚えるという病気というか症状がある。 嫌悪される音に代表されるのが食べ物の咀嚼音や麺類等をすする音だという。   こういった症状であれば筆者も患っている。 ミソフォニアは先天的なものではなく、ある日突然発症したりする、とのこと。 筆者の場合気になりだしたのは高等学校入学時であった。 現在は耳栓を常用している。 嫌悪感を覚える音は、くちゃくちゃという咀嚼音は言わずもがな。 筆者の見えないところでたてられる他人が出す音、これには会話も含まれる。 それから筆者自身が意図せず出してしまった音。 これはミソフォニアの症状とはやや異なる。 だから集合住宅では自分自身も音をたてないように気を使っているのに他人に無配慮に音をたてられると余計にストレスがたまる。 そんな気遣いは筆者が勝手にやっている事だというのは重々わかっている。 まぁ全体的に神経質な人間なので五感に触るものは押し並べて煩わしいという難儀な性格なのである。   聴覚自体が過敏で繊細なのかというとちょっと判断しかねる。 聴力検査では良い結果が出るし、周囲の人が聞こえていない微音を聞き取っていることもしばしばある。 しかし筆者はモスキート音が全然聞こえないし、ロックバンドの曲からベース音だけをすくい取る、雑踏で特定の人物の声だけをピックアップして聞くなど、聞き分けたりする事が苦手だ。   難聴や聴力を失っている方達にとってはデリカシーに欠ける発言をするが、「聴力はもういらない。」と思ったりする事もしばしばである。 筆者は音楽を聴くのが好きだし、映画を無音で見たいとも思わない。 人とのおしゃべりが好きってタイプではないけれど、対話の重要性は理解している。 それらを犠牲にしても構わないと思えるくらいのストレスの中で日々を過ごしている。   で、長くなったがここからが本題である。 これって別に普通の事では?という事がいいたい訳である。 くちゃくちゃと咀嚼音をたてることなど当たり前にマナー違反であるし、食事ですするという行為は欧米では御法度である。 イライラして当然。 昔からイライラされてきたからマナーとして常識となっているのである。 それを「受け手が病気」というようなことを言ってマナー違反をする者に正当性を与えることは断じて許せん。 他人に無関心であること、無配慮であることはインターネットの普及も相まって加速した。 人を人と思わぬ発言。自分を良く見せる為だけに行われる身勝手な行動。話題性を追求した騒々しいコマーシャル。 これ等の振る舞いが横行する社会にイライラしないはずが無いだろう。 あげく、適応出来なくなった人間を病人として扱っていくことが当たり前になった。 こういう誰かに取って都合のいい社会が普通になってしまったのだ。   普通とはなにか。それはマジョリティを獲得した正しさである。 故に不安定で容易に覆る。 正しさに普遍性など無いのだ。 だから社会の常識、ルールやマナーが変わっていくのは仕方の無い事なのかもしれない。   作家レイモンド・チャンドラーフィリップ・マーロウを通して「タフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない。」と言った。 今の我々の正しさについてもう一度考える時ではないだろうか。