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近藤麻理恵氏の情熱大陸に思うこと

今週の情熱大陸は「片付けコンサルタント近藤麻理恵氏。 著書で一躍時の人となった片付ける人であり、断捨離ブームの火付け役である。   突発的にミニマリストになろうとした人、これからなろうとする人にとって大規模なお片付けは避けて通れない道であるので注目している諸兄も多かったであろう。 筆者は本来の気質によって今更片付ける物もないし、よくある「片付け方」などの書籍も学ぶべきところが無いのでほとんど読まないのであるが、興味本位で今週の情熱大陸を視聴した。   結論から申し上げるとなにやら不快であった。 視聴中何やら現代の病を見ているような気がしてならなかった。 近藤氏は時折、手を合わせたり黙祷を捧げるようなポーズをとるので宗教じみた雰囲気も気持ちの悪さに拍車をかけた。 「自分が使用している物やそれを処分する時は感謝する」といったことは片付け関係の書籍以外の自己啓発本でも目にする事はあるが、仰々しく実践している様を見るのはこれほど違和感を覚えるのかと思ったと同時に、欧米でも人気を博しているということにある種納得もできた。 傾倒しやすそうなモデルだな、ということ。   同じようなことはミニマリストがメディアで語られる時にも起こっている。 がらんどうな部屋とそこで暮らす人間が映し出されるとそこに異常性を汲み取ってしまう。 そのように演出されている事も多々ある。   このような気持ち悪さを覚えるのは大抵の場合、やり過ぎている。   そもそも筆者にとって片付けにコンサルが必要という状況が全然理解出来ない。 不要な物が増えていったり、何から処分していいかわからないといった状態は判断力の欠如によるものとしか思えない。 近藤氏の片付け法、「ときめくか、ときめかないか」で物を処分していたところ、生活が成り立たなくなったという失敗ケースがある模様。 スマートフォンが一般化してきた頃に、デジタル非対応世代の諸先輩方は「もうみんなスマホだしいつまでもガラケーは恥ずかしい」とか「買ったはいいけど使い方が・・・。」「とりあえず電話とメールが出来ればいいから。」などと述べた。 自分には何が必要で何が不要なのか判断もつかない事の方が余程恥ずべきだと筆者は思う。   詩人の茨木のり子は「自分の感受性くらい自分で守れ」と言った。   片付けくらい自分でやれ。     茨木氏の好きな詩を二編記す。     “自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ     “倚りかからず

もはや できあいの思想には倚りかかりたくない   もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない   もはや できあいの学問には倚りかかりたくない   もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない   ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい   じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある   倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ