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白ゆき姫殺人事件とアンディ・ウォーホル

先日鑑賞した映画「残穢 住んではいけない部屋」に若干の物足りなさを感じてしまった筆者は鑑賞した帰り際にゲオに立ち寄りDVDを数本レンタルした。 その中の1本「残穢〜」と同監督作品「白ゆき姫殺人事件」を鑑賞したので感想を述べる。 以下、ネタバレとやや突っ込んだ感想を記述するため、「白ゆき姫殺人事件」を未見の諸兄は念仏を唱え、無心となって読んで頂きたい。 途中退席は認められない。   原作は湊かなえ氏の同名小説「白ゆき姫殺人事件」である。 インターネット上の炎上や報道被害をテーマとしている。 原作では架空のSNS上での炎上が展開されるが、映画版ではTwitterが舞台となっており、劇中の画面にTwitterのツイートやアカウント名、プロフィール画像などが重ねられる。   物語は化粧品会社の美人OL三木典子が何者かに滅多刺しにされた上に燃やされ遺体で発見される、という凄惨な事件報道から始まる。 原作ではライター、映画では契約テレビディレクター赤星の元に知人の狩野里沙子から三木殺害に関する情報がもたらされる。 この情報を赤星がツイートするところから容疑者城野美姫に対するネット上での個人特定や炎上、報道被害へと発展していってしまう。   劇中時々テレビのワイドショー風の画面になるためか、どことなく映像に安っぽさが見えたが「真実はどこにあるのか」を終始考えさせられるし、事件に新たな視点が与えられていき小出しに真相が見えてくるという手法をとっているため、鑑賞者はぐいぐい引き込まれていく内容になっている。 正直見ていて気分が悪くなるような登場人物ばかりの映画なのだが最後には泣けるシーンまであって感服した次第。 原作は湊氏初の電子書籍を考慮した作品でそのための工夫を凝らしているが、映画は映画で設定をところどころ変更し主題をふさわしい形で表現していることも「映像化の意義」があり、「そりゃお仕事も増えますわなー、中村監督。」という出来であった。   「白ゆき姫殺人事件」を鑑賞している間、筆者はアンディ・ウォーホルが脳裏にチラついていた。 アンディ・ウォーホルといえば1960年代に活躍したポップアーティストである。 彼は人を煙に巻くような発言を多く残しているがとりわけ彼の発言で有名なものといえば   「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」 である。   数年前にはYoutubeTwitterの普及に伴ってそれらを解説するときなどによく引き合いに出されていたように思う。 そのような社会が本当にやってきたというわけである。 そしてこの15分間だけの有名人になるべく人々は身勝手な言動をするようになる。 「白ゆき姫殺人事件」の登場人物たちも一様にこの「15分間だけの有名人」を目指しているように見えた。 事件の外側にいたはずの人間たちがチャンスがあれば自分を軸として話を展開し、大きく肥大した自我や私情、主観的で信憑性に欠ける発言が堂々と織り交ぜられている。 それはもう見ていてイライラする。 この映画は見ていて気分が悪くなるところが9割である。   そしてアンディ・ウォーホルの作品は今でもオークションでは高値がつけられるし、イメージは当たり前のように流布しているが、作品発表当時多くのアメリカ人に受け入れられなかったことも事実である。 何故か。 スターや既成品、ドル記号など、アメリカ社会に流布する軽薄なシンボルを用いた大量生産品のような作品が当時のアメリカそのものだったからだ、と言われている。 見て見ぬ振りをしていた事実が目の前に突き出され拒否反応を示したということだろう。   「白ゆき姫殺人事件」で描かれているのは現在の我々そのものである。 故にこの上なく気分が悪い。 泣けると記したシーンは湊氏、中村監督により示された最後の希望であろう。   我々の心にまだ白い部分は残っているか。