人生ソロプレイ 一人だって家も買うし移住だってするのである

単独行動をする紳士淑女を「お一人様」と呼ぶ傾向が見られ始めてどれほど経ったであろうか。 筆者はこの「お一人様」という呼称が嫌いである。 いったいどこからものを言っているのか。 人は皆孤独である。 一人で生まれ一人で死ぬ。 などという大きい話は置いておくとして。 「お一人様」には一人でいることが恥ずかしいような、みっともないような、そんなソロプレイヤーを嘲笑うかのような含みを持っている。 一体何がおかしいのか。 「一人」というのは特別なことなのだろうか。 飲食店は連れ立って入店するのが普通の場所なのか。 筆者はぶつけようも無い憤りを貯めて枝毛を増やしている。   ソロプレイの半生を送っている筆者からすればどやどやと群れて行動している、あるいは群れないと行動できない人たちのほうが如何なものかと思ってしまう。 大人であれば尚のことである。 群れていることで気が大きくなっている奴を見たりするのもまた枝毛が増える。 いつもより笑い声が大きくなっている君、そう君のことだ。 誰かといると自分がかさ上げされた気にでもなるのか。 「おれたちは今をエンジョイしているんだぜっ!」とでも言いたいのか。 そうしていれば異性でも寄ってくるのか。寄ってくる奴もいるのだろう。 でもそんなのろくな奴じゃないやーい!   筆者の枝毛が増えた話はこのくらいにして。 独身でありながら古民家を購入したり地方へ移住したりしたことに疑問を感じている読者諸賢もおられることだろう。 筆者には筆者の事情というものがある。 事情と言って仕舞えばあらゆるものをないまぜにした上にうやむやにし、やんわりと包み隠してしまうことが可能である。 便利な言葉よのう。 そのどうでもよさげな事情を開陳したいわけではなく、そういう選択ってどうなのだろうな、ということを考えてみたい。 読者諸賢は果てしなく広がる風呂敷と脱線ののち暗礁に乗り上げることを覚悟されたし。   独身女性がある程度年齢を重ねて「わたくし結婚しないかもしれませんわ。」と思い至ると老後のことなど含め、家のことを考えるそうである。 そうしてマンションを購入したりするとこれまた「えっ!?なんで?一人なのに?」みたいないらんちゃちゃを入れる連中がいてまた枝毛が増える。 テレビドラマなんかでよくみるシチュエーションのような気がする。 そういうのはみっともないんだというような風潮。 結婚したい、したくない、できる、できないという話は別として、とても堅実で自立した女性であることが伺え賞賛されこそすれ非難されるようなことではないと思うのだがそうでもないらしい。   筆者がドイツで暮らした頃、現地で出会う日本人独身女性のほとんど(といっても3人くらい)がいうところには 「ドイツでは女性の年齢に伴って結婚を急かしたり、独身者を嘲笑することがなくてよい。生きやすい。」 とまで言っていた。 それほどまでに日本でのストレスが大きかったのであろう。 皆なにかしら夢を持って渡独してきているので「今は恋愛とか結婚とかじゃない。」という人が多かったと思うが、それは別にドイツに限ったことではなく日本でだってそういう人はいるはずである。 そういったことを全く無視して当たり前の世間話のように結婚とか出産の話を独身女性に突きつけるのは如何なものか。 女性の人生観はいまだに無視されている。 不用意発言の主が男性であるならば構図はわかりやすいが、そうでもないのが困ったところで既婚女性やかつて同族と思っていた者までが敵に回ったりするので、独身女性は違った意味でも独りになる。   男が一人というのは「モテないのね」とか「甲斐性ないのね」とか簡単に片付けられるのである意味気が楽だし、独り身を心配されたりもしないので女性の独身者とは全く意味が違う。 しかし男性も女性も一人の人間として見たならば、本当はそこに違いなどないはずである。 詰まるところ雇用が、給与がという方に転がる。 団塊世代の女性と話したりすると「自分で食べていけるなら結婚なんてしなかったかも。」なんて話しを聞いたりもするので、こういう女性が一定数いるのなら男尊女卑を当たり前にしてきた世の中の罪は重い。 一人の人間の人生を型にはめて終わらせようとしているからであるからして。   「男女平等」を掲げて日々戦う人がいるのを見て思うことは、本来違うものを同じにしようとするのではなくてそれぞれにとっての良い形をメリットを盛り込みながら具体案を出すのがいいのではないかと思ったりしている。 そこには男女平等も女性の総意ではないのでは?という疑いがあったりするから。 最近ではトランスジェンダー(この言い方って差別的ではないよね?)の問題などもあって二通りあればいいというわけでもなくなってきているだろうから、まず一人の人間としてどうかというところから始めなければいけないのではないかと思う。   勘違いをして欲しくないのは女性の方が人生ハードモードだ、というわけではないというところ。 男性には男性の問題がある。 しかしそれも詰まるところ男女の関係性による同じ問題という気もする。 いずれにしてもどっちがしんどいか競い合うような真似は世の中のためにも筆者の毛先の為にもよろしくない。   そんな毛髪が心配になる問題を抱えて日本で生きる我々がさらにハンデを背負うことになるであろう「一人で生きる」ということ。 「人は一人では生きられない」とかそういう話ともまた違って、結婚せず、家庭を持たず、誰かに依存せず、自立した自分で居られるということを筆者は肯定したいのである。 わざわざこんなことを言っているのは先述の通りそれが否定的に見られる向きがあるからである。 他人を否定することで自分を肯定したがるのは誰にでも見られることで筆者にだってある。 それはもう証拠として幾度も記述済みである。さっきだってほら、ね。 自分を肯定するために他人を卑下したりなんてもうしたくないわけである。 それもこれも日本社会の価値観が固定化しているせいではないかとなすりつけてみたりもするわけで。 「そんなものはおまえが弱いからじゃー!強く生きんかい!ワシが男塾・・・!」と塾長の怒鳴り声が聞こえてきそうだが、本当にそうだろうか?   筆者はちゃくちゃくと人生をソロプレイ中である。 それで何か問題でも? 家庭も持たずそんなことをしている筆者は憐れなの? 人生において家の購入、地方移住などの選択を俯瞰で見ればそこには迷いも不安も多少はあるし、「地方最高だよ!やっぱ持ち家だよねー。」などとは言えないが、そこには人生のイベントの一つでしかないという側面もあって何やら意固地になったりヤキモキしているのは馬鹿らしささえある。 そう思ってしまえば毛先を傷ませる問題なんてそんなにない。 一人でだって生きてゆける。 我が人生に100片くらいの悔いはあるが天に拳を突き上げて人生を締めくくってみせよう。 すべてのソロプレイヤーよ、孤高にたくましく生きていこうではないか。      長くなったし見事に暗礁に乗り上げた。 なぜだか女性の話が主になったし、頭の片隅でモテなさそうな男にずっと「この媚び売り野郎が!女性の味方気取りか!」と罵られ続けたし、結局枝毛の話ばかりしている。 らしくもないことをしたと今は反省している。 筆者は女性の思いを代弁しているなどとは露ほども思っていないので、この記事を読んでくれた菩薩のような女性諸氏は読んだ内容をやさしくティッシュにくるんで捨ててくれるとありがたい。   ところで筆者は結婚適齢期の男汁溢れる男性であるが、もし眼前に麗しき女性が現れて筆者のハートを鷲掴みにしたならば求婚するのもやぶさかではない。 しかしお金の話が先立っているような結婚はまっぴら御免である。 お互い長年のソロプレイを経て一緒になるような感じなら、それは良いなと思うものである。 そんな出会いがあったらあったで、なきゃあないで、それでよい。 矛盾とやわらかさが同居するのが我が人生である。